福岡市埋蔵文化財センターにセイコー先生登場!

いやぁ、今日の考古学講座は面白かったよ!^^/
先生は大阪文化財センターの水野正好(マサヨシ)さん。
セイコーさんって呼ばれているらしい。
重苦しい感じで話すのかなぁと、ちょっぴり危惧してたんだけど、
そんなことは微塵も無くて、とても親しみのある先生だったね。
74歳で元気はつらつ。

テーマは「葬送儀礼に見る古代王権の継承」。
いかにも重苦しい感じだよね〜。
ところが、そうじゃない。
セイコー先生の主張の概略は以下の通りだよ〜。


■1)邪馬台国は九州じゃなく奈良だ!
皆さんも知っての通り、魏志倭人伝三国志魏書東夷伝倭人條)に、
倭人」、「邪馬台国」、「卑弥呼」が登場する。かなり多くのことが
書かれているんだけど、その話しは省略〜。

ポイントは倭国の王が女であること。魏の王はこれに驚いただろうという
ことと、朝貢の返礼に鏡を100枚授けたということ。
これは239年のこと。

時は流れて聖徳太子の時代、中国は隋。
聖徳太子小野妹子を遣隋使として派遣。
「日出ずる国の王より日没する国の王へ書を送る、つつがなきや?」
で始まる国書を送った。
これに激怒した隋の王が小野妹子の帰国の途に遣使を同行させ、推古天皇
聖徳太子に接見したことが隋書に記録されているんだって!
それによると、遣使は「ここが魏王が100枚の鏡を授けたという女王の
国か?と尋ね確認したことが記されているという。

水野先生は、これを根拠に卑弥呼が居た邪馬台国が奈良の三輪山の麓に
あったことは疑いの余地が無いと断定しました。
「九州の皆さんには申し訳ないが、」という前置きがありました。(笑)


■2)箸墓古墳卑弥呼の墓ではない!
朝日新聞が最近、「箸墓古墳卑弥呼の墓か?」というスクープを一面に
掲載しましたが、水野先生曰く、「あれはガセ」とのこと。
学会が正式に発表する前にあんなスクープを書くとは不届き千万!」と
怒ってました。年代が50年ほど合わないそうです。
あの墓は、「倭トトヒモモソ媛」の墓とのこと。


■3)前方後円墳大和朝廷王族の正式な古墳だ!
卑弥呼時代以降、王族の古墳は前方後円墳が正式なものとなった。
そして王族以外は前方後円墳を造れなかった。
日本全国にある地方の前方後円墳は地方豪族のものではなく、地方に配置
された王族のものである。
数が多すぎるのはないか?という疑問にはこう答える。
例えば景行天皇の子供は80人。3人だけ中央に残して77人は地方へ
配置した。その妻、その子供という風に王族も増えるので数の問題は無い。


■4)古墳は王権継承を発表の舞台装置でもあった!
古墳の後円は王の墓である。逝去した王を埋葬し、前方の舞台で王権継承の
行事を行ったと推測できるらしい。
前方後円墳は埴輪で飾られていたらしい。


■という説明を受けたcapはすごく感銘を受けた。
セイコー先生の説の通りなら、卑弥呼の時代には大和朝廷はまがりなりにも
中央集権国家の体を成していた!?ということになるよね。
卑弥呼時代の倭国は案外捨てたもんじゃないかもね。
なんだか、ますます古代日本に興味がわいてきた^_^

最近、NHK教育で日本と朝鮮半島200年の歴史を再検証する内容の
番組があるのを知ってるかなぁ。
けっこう面白いよ。
観てみてね^^/