旅・長崎 初日2)

長崎本線有明海を望みながら、あまり急ぐでもなく、ダイヤ通りに進んで行く。
島原の雲仙普賢岳の近さに驚いた。
早起きのせいか、車中ではうとうとしてしまった。
諫早湾の堰の水門はまだ開いてなかった。


08:35 ダイヤ通りに長崎駅に到着。
ホームに降り立つと、いきなりバッグパッカーの異人さんやシスターの姿が
目に入った。
ここは長崎だと実感した〜。


駅構内は龍馬伝の福山のスチルで溢れていた。
ほんとに…これでもか!ってな感じ。


駅を出てKIOSKに入り奥に進むと、角煮まんの試食にありつけるかもという
情報があったので、さっそく行ってみたのだが〜…
残念ながら試食はやってなかった。時間的に早過ぎるんだよ、きっと。


駅東側の中空公園でベンチに腰掛け、本日のアクションプランを練った。
そこに原爆の凄まじさを解説する表示板があった。
1945年8月9日11時7分(ちょっと分に自信が無い)、長崎市中心より北に
2.7km(小数点第一位に自信が無い)地点上空500mに、突然、大火球が
現れた。爆風は風速170m/秒で地上を襲い、僅か3秒で直径200mに膨れ
上がった火球の表面温度は1万数千度。直下の地上は1千度以上の高熱に晒された。
地上は火の海になるとともに、猛烈な爆風によって完璧に破壊された。
死者7万人以上。負傷者7万人以上。
当時の長崎市の人口の70%近くが死傷したことになる。


いやはや、凄まじい。


26聖人、本蓮寺、沢村惣之丞の墓、福済寺・長崎観音、と回り、
聖福寺の裏山の墓の木陰でひと休み。
くまぜみや、にいにいぜみ、つくつくぼうしが賑やかだった。
聖福寺の鬼瓦がなかなか素敵だった。パチリ

聖福寺の山門前には、「酒飲んでの入山を許さない」という石碑あり。パチリ。


しかし、福済寺のガメラに乗った観音様にはびっくりした。
正直、「こんなんを崇めることはできん」


昼前に長崎歴史文化博物館に入った。
龍馬像の前でにんまり。


展示内容は、龍馬一色。
龍馬が海軍操練所の取り潰しという挫折から慶応3年に暗殺されるまでの
僅か3年半が、ここ長崎を中心に回っていたことがよく分かった。
それにしても色んな事件が起きている。
それだけ、龍馬がアグレッシブだったということなんどろうな。
竜馬が動くと事件が起きる。そんな感じがする。


14時過ぎ、脚が棒になった。
博物館のロビーのソファーでくつろぐ。
ギンビスのアスパラガスビスケットを食べながら、アクションプランを練る。
14時半に博物館を出た。
長崎くんちの舞台となる諏訪神社に行くことにした。


山の方に上がると思いがけず、立山防空壕に行き当たった。
原爆が投下された時、ここに県知事達がいたらしい。
ここから新型爆弾が投下されたことを真っ先に報告したらしい。


図書館前を通り、長崎公園を抜けると諏訪神社があった。
きれいな神社だ。下界を見下ろせる。
対面の山に亀山社中跡があるはず。


諏訪神社を降りて諏訪神社電停裏のシーボルト通りの商店街をぷらぷらと散歩した。
入り口近くの八百屋で一房50円のバナナと、8個くらい入って80円の梅干と、
叩き売りで200円の太巻き寿司を買った。
朝からずーっと歩いているから、めちゃ腹減ったし、汗たっぷりで塩分と酢酸を
補給したかったし。
バナナは夜のおやつにもなるし、明日の朝食にもなる〜^^;


ここから龍馬通りを通って、今夜泊まるつもりのネット喫茶を目指した。
賑橋あたりだ。
めがね橋より一つ下流のふくろ橋の公園で一休み。
さっき買った太巻き寿司を平らげた。梅干も2個。
左足を怪我しているすずめが一羽で目の前に舞い降りた。
こいつはこうやって飯を食う観光客に不自由な足を見せて哀れみのおこぼれを
貰うのが日課になっているんだろうなぁ〜と感じながら、飯粒を2つ、1個ずつ
投げ与えた。二つとも見事に拾って去って行った。
この間、新八代駅で見た哀れな小鳥より、この雀のほうが賢いと思った。


18時少し前にめがね橋をパチリ。

すぐにの公園を後にし、賑橋のネットカフェを確認した。
そのまま中華街に行ってみた。
横浜中華街よりう〜んと小振りだった。


ネットカフェに戻る途中。
いまベローチェに居る。


長崎は狭い。
坂が多い。
道が狭い。
墓が目立つところにある。
墓が大事にされている。
商店街が元気。
祭りの伝統が生きている。


そう感じた。