幸せってもの

人の幸せってものはいったいなんだろう。
老後を安定した暮らしで過ごせる事。っていう人もいるだろう。
好きな人とずーっと一緒に居られること。っていう人もいるだろう。
一人であっても独りじゃないって言えること。っていう人もいるだろう。
好きなスポーツをしているときが一番幸せっていう人もいるだろう。
良き伴侶と生涯を共にすることっていう人もいるだろう。
きりが無いのでこの辺で切り上げる。


これらの共通点は、自分が独りで生きるのではなく、自分を認めてくれる人と、或いは人達と、共に生きるという点ではないかな。


自分を必要としてくれる人のために生きていくのは、きっと幸せの基本に違いない。
人を助けたりすると、何とも知れない充実感が体中に満ちることがある。
みんなもそんな経験がきっとあるはず。


つい先日、御供所・冷泉ライトアップウォークで歩いた時、こんな光景を目にした。
承天寺を出ようと山門に向かう一人のご老人が居た。男性だ。
杖を突いて歩くのだが、その足は摺り足以上には持ち上がらない様子。
歩幅も極端に小さく、1歩で進むのは10cmにも満たない感じだ。
その進む先には山門の石畳に上がるための約10cmの段差と、更に高さが30cmはあると思われる山門の敷居が立ち塞がっている。
ご老人は迷うことなく、小さい一歩を着実に山門に向けて進めている。


手助けが必要だな。
そう感じた瞬間、二人の女性がそのご老人に声を掛け、すっと両脇を抱えた。
老人は、素直にそれを受け入れた。


手助けした女性二人は、無事に山門をくぐり、道路に歩を進めたご老人の後姿にいつまでも目をやっていた。その表情に菩薩の微笑みが浮かんでいた。
きっと、えも言われぬ充実感を全身で感じていたんだろう。
幸せな一瞬だったろう。


そのご老人の家族は、一人でライトアップウォークに行くのは許さないだろう。
お寺や神社には一人では越えられない段差があるのは誰にでも分かることだから。
本人はそれを承知で、出て来たに違いない。
わが町のイベントに参加したいという欲求が不安を押しのけたんだろう。
結果として、多くの人に助けられながら、なんとか数多くの段差を克服し、
町のイベントを堪能できた。そればかりではなく、多くの人々の性根の優しさに触れて、自分が孤独ではないことや、世の中捨てたものではないという思いを改めて抱くことが出来たんじゃないかな。
きっと、幸せを感じたよ。


幸せの根源は、こんなもんじゃないのかな。
心を豊かにする人との交流。
助け合うことで味わう充実感。


でもこれらは、実は簡単には得られない。
長きにわたる経験が必要なんだ。


認め合うことを何十年も不断に続けることは実は難しい。
やはり波がある。
ピンチもある。
いろんなことを乗り越えて進んだ先に小さな幸せが見つかる。
そういうものではないかな。


にほんブログ村 その他日記ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 その他日記ブログ