驚いた! 大前研一氏の去年夏の指摘「もはや末期的!日本社会を蝕むリスク放置症候群」

PRESIDENT 2010 8.2号82,83ページの「大前研一の日本のカラクリ」で鋭く指摘していた。
なぜ、日本人は「最悪」を想定しないのか? と、日本人の民族的な傾向を嘆いている。
以下、capの気を引いたところを本文から引用してみる。

冒頭
日本人が民族的特性といっていいほど苦手にしているのが、最悪の事態を想定して、それを避けるために何をしなければならないかを考える「リスク管理」の思考法である。


原爆を落とされるまで戦争を止められなかったのが日本人の性だ。悲劇的な結末が見えていながら、なお「何とか打開しよう」とは考えない。
日本人は、原爆のお陰で戦争が速く終結、多くの日本人の命も救われたというアメリカの言い分に頭から反発する。だが「こうすれば原爆を落とされずに戦争を終わらせることができた」という日本人に、会ったことがない。


なぜ日本人は「What's If 〜?」の思考法が不得手なのか。理由は二つ考えられる。
一つは、千年以上にわたり中国や欧米から文明を受け入れてきたため、自分でゼロから考えなくても、どこかに存在しているはずの答えを見つけてくればいいことに慣れきってしまったこと。日本人にとって答えは考えるものではなく、探すものなのだ。
もう一つは、日本特有の言霊信仰。悪いことはなるべく考えない。言ったら本当にそうなってしまいそうだから口にしない。言霊に対する畏れが日本人のDNAに組み込まれていて、最悪の場合を考えることを避けて通る癖がついてしまったのではないか。


大前研一氏は、東日本大震災を予言したわけではない。単に日本人の危険を察知する能力の低さを嘆いており、ひいては現代日本の政治や外交のひ弱さを嘆いている。


capとしては、このメッセージからこう感じた。
日本は火山国であり、地震国であり、水害国であり、土砂災害国であり、台風国であるという日本人なら誰もが知っているリスクについてもっともっと真剣に向き合うべきなんだと。
そして、この震災から復興する東北のビジョン策定に当たって、リスクマネッジメント力を発揮して欲しいということ。災害大国なんだから、二度と「想定外の災害」という言葉を使って欲しくない。
新しいeco社会を創り出して欲しい。


福島原発はリスクマネッジメントという観点から断ずると、「人災」だと言える。
想定する災害を過小評価していたわけだから。その上で地元住民には5重の安全対策を講じているから大丈夫と言い続けて来た訳だから。