無宗教のcapは真のジェントルマンではない!?

大博通りの歩道を歩いていると、大博通りよりうんと狭い横断歩道で信号待ちすることがある。
片道3車線の大博通りに比べて片道1車線の渡りたい向こう側はあまりに近く、信号待ちすることにかなり抵抗を感じる。
たぶん多くの人がそう感じると思う。ひどい所は一方通行の4m道路まで信号待ちすることになるんだから。


capは、マンションへ帰る途中の最後の横断歩道で信号待ちになることがあるんだな〜。
車の通行もあまり多くない。待ってるのは馬鹿らしい。だけど、向こう側にすまし顔で行儀良く待っている人が居る。これが小学生や中学生だったら、「う〜ん、しょうがない待つか」となるんだけど、大人だったら、「安全は自分の責任で守るもの。」と、うそぶいてさっさと渡ってしまう。
そして渡ってしまう時、横断歩道を歩くと、ほんの少しの後ろめたさを感じるんだけど、これが不思議なことに、横断歩道から少し離れて斜め横断すると後ろめたさのかけらも感じないし、むしろ、「なんであんたら車が通らないのに待ってんの? ばっかみたい。」という気持ちがわいてくる。
笑っちゃうよね、この心理。


こんな話を床屋の若い店長に「ごくうカット」にしてもらいながら語ったら、この店長が面白いことを言った。
「そうですよね〜、僕なんか一人になるとろくでもないですよ。誰も見てないからいいや。なんてやっちゃいますから。イギリス人には厳格なジェントルマンが居るじゃないですか。一人になってもジェントルな人が。日本でも時々、そういう風に見える年寄りがいますけど。」

「そうだねぇ、一人で居る時までジェントルってなかなかできないよ。」

「きっとですね、イギリス人はキリスト教で絶対的な神を心の外に持っていて、その神に照らして自分の行動を律していると思うんですよ。」

「なるほど。うんうん。」

「対して、僕ら日本人は絶対的な神というものを持ってないですよね。僕なんか無宗教ですし。それに神に対しては、苦しい時の神頼みっていうあさはかさですから。」

「そうだよね。自分の中に自分を律する外的存在を持ってないよね。 まぁ、下品な大人の方が多いよね。これって信仰のせいなのかもね。」

「自分も、一人で居る時もしっかりしてられるようになりますかね? なんかいつまでもこのままで成長しないような気がするんですよ。」

「だいじょうぶ。心底立派な人になれるよ!」