今日も風邪継続中。 サイゼリヤで体罰について考えてみた。

今日で風邪のせい三連休。
7時に目覚めた時、この三日間で一番喉が痛かった。起きた瞬間に今日も仕事休むと決意した。


三日ぶりに外に出てサイゼリヤでブランチすることにした。行き帰りは冷たい外気に喉が悲鳴を上げ、頭まで痛かった。でも暖かい室内では元気になる。
食事を終えコーヒーを啜りながら、最近の体罰について考えてみた。



教育と体罰問題が国民的話題になっている。桜宮高校男子バスケット部のキャプテンが体罰を苦に自殺したことが大きな波紋を投げ掛け、更に全柔連女子チームの園田監督が体罰をしていたことが選手達からJOCに訴えられた。スポーツ会系では体罰パワハラが起きやすいと思う。立場や競技の勝敗による内部優劣がはっきりするからね。
ツイッター石原慎太郎櫻井よしこの「教育に体罰は必要か」という教育シンポジウムが話題になっている。どうやら、教育に体罰は必要だと言ってるらしい。
それに対する批判が多い。capは不要だと思う。まだまだ未熟者であるうちはたくさん失敗する。未熟者はその失敗を指摘されたり、その失敗の影響の大きさを知る事によって成長する。そこに体罰は要らない。


capは小学校時分に体罰を受けた事がある。宿題をやっていかずデコパッチンやゲンコで頭頂部をゴンとやられるのは自分の落ち度のせいであるし、教室で授業中に騒いで頭頂部をゴンとやられるのも自分の行為のせいだから痛いけど心が傷付くことは無かった。むしろ愛情を感じたものだ。こんなのは体罰ではない。許容範囲だ。
capが傷付いた体罰は、誤解による頬平手打ちだった。もう詳しくは忘れてしまったが、確か合唱とか行進とか、そういう学級全体での練習の時だったと思う。capは成績も優秀、素行も良いいい子(つまんない奴)だったからそういう学級全体の練習ではいつも真面目ぶりを発揮していた。そんないい子の周りがふざけていたんだなぁ。担任がつかつかとよって来て、何してる!と怒鳴るが速いかいきなりふざけていた生徒達の頬を張りだした。capは自分の隣でこの嵐は止まると思っていた。しかし、止まったのはcapでだった。
一部の生徒達にはcapへ同情の声が後で上がったが、もちろんもう後には戻れない。
学校帰りに一人歩きながら泣いたと思う。不条理という言葉をこの時覚えた気がする。
叱り方に感じていた愛情は怖いに変わった。

中学にもゲンコゴン先生が居た。戦争経験者で、シベリア抑留者だったらしい。授業中は気合がほとばしっていた。授業が終わり放課後になると優しい笑顔の人だった。capはこの先生が好きだった。


人は罰を受けて成長するという人がいる。少なくともcapはそう思わない。
愛情を感じる罰、そうゲンコゴン程度なら良い。
生徒達の中にはどうしてもふざけたい人がいるからね。この人達のふざけを止めるのは力しかないかも。でもゲンコゴンが限界だろうな。


罰を受けた人は、やらかしたことと受けた罰を天秤にかけて、多くの場合は罰の方が大きいと感じて不満を募らせる。


もし、何の罰も与えなかったら生徒に先生がなめられるかも知れない。ホントにそうかな?capにはよく分からない。意外とそうではないのかも知れない。これは試すしかないね。でも自分では試せない。
体罰無しでちゃんとやれてる先生や監督のセミナーを企画した方が良いな。