志免町⇒宇美町⇒大野城址⇒太宰府天満宮をウォーキングした (2)

宇美町の井野というところに八幡産宮という神社があったので、前途の安全を祈願しようと寄ってみた。石造りの立派な鳥居があり裏に明治35年と彫ってあった。西暦でいうと1902年かな。110年前だね。その当時の人々が五穀豊穣と子宝授受を祈願するために建立したんだろうな。

さて、いよいよ四王寺山(大野城址の山)に入って行く。
とても残念だったのは、その入口になる道横の田んぼにたくさんのゴミが捨てられていたこと。ペットボトルやビールの空き缶、その他が多分車の窓から投げ捨てられたんだと思う。

日本人の公共マナーは素晴らしいと言われているが、実態はこんなものさと思ってしまう。人目があるところでの公共マナーは素晴らしいかも知れないが、人目のないところではこんなもんだ。残念な日本人だ。

舟石とか屏風岩とか、和歌山の亀石を思わせるネーミングがGoogleマップにあったのでそこに向かうことにした。

舟石は小さいボートの様な形をした岩でぽつんと駐車場に置かれており、あまりの無造作ぶりに何の感激も湧かなかった。

少し進むと鮎返りの滝という名所があり、そこへ入って行くと、何やら背筋が寒くなるような雰囲気が漂っており、だいぶ荒れてはいるが、石仏が何体もあって神に祈る聖地なのかなと感じさせる場所だった。


次は百間石垣。これは立派な石垣だった。660年頃の白村江の戦いに敗れた日本は、新羅と唐の連合軍に攻められることを恐れて、元々海辺にあった太宰府政庁を現在の地に移し、防御線として水城や、この四王寺山に石垣や土塁を張り巡らせて大きな城(大野城)とし防御策としたんだよね。
それが、今でも立派に役を果たせそうに見える様は、1450年前の人々の恐れと強がりと汗と血をまざまざと感じさせた。

この山からの眺望は素晴らしい。
福岡市街はもちろん、博多湾篠栗方面も筑紫野方面も久留米方面も一望出来る。
軍事的には素晴らしい監視所になる。
そんな場所だから戦の史実がたくさんあるらしい。多くの人の血が流れた場所なんだよね。

だからその供養のためなのか石仏群があるのかも知れない。
ここは聖地だ。そう思った。

四王寺山の由来は、毘沙門天広目天増長天持国天の仏教で言うところの四天王を祀るお堂が建立されていたからだろうと思う。

最後に水瓶山から太宰府天満宮に下山した。

天満宮の梅は6分咲き程度だった。

今回の歩数は、約4万歩。距離は25km程度。
川あり山ありの楽しいウォーキングだった。


この日のランチはおにぎりと梅干し。日本古来の旅飯〜