昨日は考古学講座にも行って来た。「継体新王朝の成立」

継体天皇といえば、九州の「磐井の乱」を鎮めた天皇として有名ですよね。
この「磐井の乱」には朝鮮半島も絡んでいるわけだから、本当に歴史って熱い!


京都教育大学名誉教授の和田先生の講座で、歴史に見る変革シリーズの
4回目の講座。

継体天皇は福井の王族で天皇家直系の血は薄い。
そういう人が天皇になったということは、直系に任せられる人が居なかった
ということなんでしょうね。
そして、男大ど王家が朝廷から見た時、無視できないほど強大になって
いたんでしょう。
その理由は何だろうと思っていたんだけど、この講座で「なるほど」があった。

先生の説では、
淀川沿い高槻市の今城塚古墳が継体天皇陵で、そのすぐ東にある大田茶臼山
古墳が曽祖父の陵ということらしい。
琵琶湖の東方、大垣あたりに赤坂金生山(キンショウザン)というのがあって、
赤鉄鉱石の産地だった。
継体天皇はこれを押さえていた。つまり鉄を押さえていたということ。
当時は鉄は武器であり力の象徴だったでしょうからね。
淀川から琵琶湖、尾張に到る一帯を、そして北は若狭から能登まで一族の
支配下にあったらしい。
どうやら、鉄で皇位を掴み、薄い血を補うために多くの皇族と婚姻関係を結んで
支配地を拡げたということなのかな。
凄いなぁ。継体天皇は6世紀初めの国民的ヒーローですからね。


そうそう、今城塚古墳では多くの埴輪が出土したそうです。
以前受講した講座で、前方後円墳は単なる墓ではなく、
王位継承を世に知らしめる舞台装置だった! という説を聞きましたが、
この今城塚古墳はそのことを裏付ける古墳なんでしょうね。