貧しくもなく金持ちでもなく中の下程度の生活水準で幸せか?
幸せというのは人それぞれで感じ方が異なる。
ある瞬間の刹那的幸せというのを多くの人は日常的に感じているはず。
例えば、ランチがおいしかったとか、友人と楽しくしゃべれたとか。
はっきりと幸せだと感じるのではなく、脳が喜んでいるという感じ。
嬉しかったとか、楽しい時間だったとか、振り返ってみて意識できる。
意識してみて初めて「あぁ幸せだ〜」と感じる。
多くの人はこんな感じなのでは。
もっと、心の中の幸せ要素を明確に意識できるようになれば、
リアルタイムに幸せを感じられるのではないだろうか。
脳の精神反応を鋭敏に意識できるようになったら、
どんなライフスタイルになるんだろう?
ここまで書いてみると、表題の
「貧しくもなく金持ちでもなく中の下程度の生活水準で幸せか?」
という問いかけは、まるで的外れだと気付く。
幸せって生活水準には直接的には関係ない。
どんなに貧しくても喜びはあるはず。
こんな公式は成り立たないだろうか?
脳の喜び=幸せ
成り立つならば、
脳が喜んでいる状態が長く続く=幸せ度が高い
と言えるのではないだろうか。
◆大相撲を観られる幸せ
11月21日(土)に大相撲を観られる幸せを満喫した。
金曜日までとは打って変わって雲一つ無い、いい天気だった。
福岡国際センターの一番安い、一番上の壁際の席。樹脂製の固い椅子。
それでも3100円。ちょっと高いよなぁ。
テレビでしか見たことの無い力士達が、自分が生きているこの世界に
リアルに存在しているんだと実感。
高見盛のロボット的でコミカルな動きと、土俵上での二転三転と攻守が
入れ替わるめまぐるしいせめぎ合いの中に、勝機を見出す戦う勘の鋭さとの
間にみられるギャップを楽しんだ。
会場での人気は魁皇⇒高見盛⇒琴奨菊⇒白鵬⇒朝青龍⇒琴欧州⇒日馬富士。
そんな感じだった。