神戸の集団暴行殺人事件に思う犠牲者の父親の感情

世の中には、湧き上がる怒りに支配されて、常軌を逸した行動に走る人が居る。
そういう人を兄に持つ女性のボーイフレンドが、犠牲になった。
ひょっとしたら、犠牲者と逆上兄との間には事件につながるような伏線があったのかも知れない。
以前から溜まりに溜まった怒りの暴発なのかもしれない。


それにしても、集団で殴って死なせるなんて、capが生きてる社会とは別社会の話しなんじゃないかって疑いたくなる。
でも、そういうことが起きる社会に自分は住んでるんだよ。


殴った集団の側には、殴りながら笑っている奴が居たかもしれない。
狂気が狂気を煽り立てたんだろうな。その空気に触れた者には、その狂気の暴発を止めることは出来なかったんだろう。
皆が狂気にとりつかれていた?


父親の無念はいかばかりだろう。
もし、自分なら正気で居られるだろうか?
誰かが抑えてくれないと自分が暴発してしまうかもしれない。
多分、自分の中にもそういう狂気が潜んでいるはず。


息子が生まれて昨日まで生きて来た。
可愛かった幼少の頃、友達に囲まれて元気な姿の少年時代、反抗期、あまり口も聞かないけど将来の夢をぼそぼそと語る時の真っ直ぐな目。その輝き。


そんな息子が突然命を失った。
もう語ることはない。
輝く瞳を見ることもない。


想像することすら嫌だ。


きっとしばらくは、そう息子が死んだことが実感できるまでは、気丈に振舞うことが出来るだろう。
妻が半狂乱にならないように大きな心で包んであげなきゃいけないし、親族の対応もあるし、警察やマスコミやご近所の対応も有るし。


そのしばらくが過ぎた後が怖い。
自分は正気で居られるだろうか。
この怒りをどこにぶつければいいのか。
心の暴走を抑えることが出来るだろうか?
その時、この脳は何を喜ぶんだろうか?
ひょっとしたら復讐することを喜ぶのかもしれない。


怖いね。
自分を抑えるために、神や仏に頼るようになるかもしれない。