100分で名著「般若心経」を観て

玄侑宗久さんの解説が面白かった。
我が身が持っている「本来の力」というのが、むしろ燦然と感じられるというか、自分をリセットするのに般若心経のお経が力を発揮する様な気がします。
我が身一つになれる。
お経をあげるだけであらゆる思いから離れることができるだけでも救いの時間だと思いますね。

意味に対するリスペクトはもちろん有るべきなんですけれども、それとは全く別の行為として「唱える」というのが有って、両者合流しなきゃいけないのに、同時にやろうとするから覚えてくれないんです。

般若心経を唱えるというのは、覚えていることを再生しているわけです。今唱えた言葉の意味などを考えるとすぐに間違う。思考した途端に間違えるという、面白い行為なんです。
自分の意識が今だけに居るという感じです。未来に行かず、過去に戻らず、今だけに居続けているから間違わないんです。
そういう意味では、極めて覚醒してるのに何も考えてないという時間を、現代人は特に持ってないんですよ。
耳も目も鼻も極めて敏感なんです。ですが何も考えてないという時間を、お経を読み始めた途端に作れるんですね。
命そのものになれる感じなんです。

命の上にポンと私が住んでいる様じゃないですか。実はこの私が消えてくれた方が命は本当にのびのびできるし、本来の力を出せる部分というのがとても有ると思う。
その私というものに暫く消えてもらうという手段として呪文はてきめんの効果がある。

般若心経はその呪文。僅か262文字の。