子は一族のかすがいか

夕方、訃報が届いた。
母の姉が95歳の人生の幕を引いたと。
幼い頃は年に2回ほど泊りがけで遊びに行っていた。
一族が近くに住んでおり、賑やかで笑いの絶えない暮らしぶりが羨ましくも眩しくもあった。
そんな一族が、今や落日の如く暗い帳に覆われているそうだ。
capよりほんの少し上の世代の子等は核家族となり都市部で暮らしている。
あの頃若くて幼子を抱えていた器量の良かった従姉妹の家は荒んでいるらしい。


あの輝いていた一族の暮らしは遠い過去のものとなってしまったようだ。
故人の告別式への参列を申し出たところ、やんわりと断られた。
家は荒み遠隔の親戚を泊めるゆとりが無いんだと横から声がした。


幸せっていうのは何なのかと思う。
貧しかったcapの子ども時代に幸せそうに見えた親戚が、今や老後の不幸の標本みたいなことになっている。


直感的に、皆の共通の可愛い存在である子供が一族にとっての幸せの象徴なのではないのかと感じた。
じいちゃんばぁちゃんが居て子供孫が居る。これが老後の幸せの基本形。
だけどこの基本はとうの昔に破れた。
では晩年の幸せはどうすれば掴めるのか?
少なくとも、実るほどに頭を垂れる翁になることが必要かな。
若い人との交流を進んで持つのが良いだろう。
子供と遊ぶ
若者と遊ぶ
そんな時間を確保することが幸せへの近道なのではないでしょうか?